いわての新鮮力 一関市川崎町 米栽培 今野勝人さんJA江刺青年部の及川徹さん


JAの機械化銀行で機械オペレーターも務めている


高温障害で枯れた稲。しかし被害はかなり少なかった


コンバインで刈り残した稲を拾う、母親のシノブさん

 ゴゴゴゴゴゴ。黄金色の田んぼの中を、コンバインが動き回っている。

 畦畔際からぐるりと稲を刈り取っていき、脱穀した籾は待ち受けている軽トラックへ。そしてふたたび黄金の海へと、コンバインは突き進んでいく。運転しているのは、JAいわい東青年部協議会会長で川崎青年部部長の今野勝人さん。10月も半ばを過ぎて残すは自家水田3町歩の稲刈りだけとなり、秋晴れを惜しむようにして作業は続けられていた。

 「今年は高温障害が心配だったけど、『死に米』は思ったより多くないようだ」。死に米とは、高い気温が続くと発生頻度が高くなる白濁粒のこと。食い止めるには日々の管理が重要になるが、「米は毎年違うから、たとえマニュアル通りにやっても障害や病気はおきる」と、今野さんは淡々としている。米づくりに取り組んで5年目、感じる難しさは一向に減ることはない。

 「農業をやることも実家に帰ってくることも、100パーセントないと思っていました」。
 そう話す今野さんは、高校卒業後は料理の道へ進んだ。だが6年前、家業の農業を継いでいた兄が病死。調理師を辞めて一関市川崎町へと帰郷したのである。「仕事も順調だったし不安もあった。けど、農業をやると決めて戻って来た」。41歳での本格就農だった。


「米は年に1回(の収穫)だから大事にしなくては」とシノブさん


脱穀した籾はトラックで倉庫へ搬送する


薄衣小5年生の児童と取り組んだバケツ苗づくり

 仕事は農業機械の操作を覚えるところから始まったが、出だしから“洗礼”が待っていた。
 「トラクターや運搬車など、機械の故障が相次いでね。兄は機械に強く自分で修理していたから長持ちしていたけど、自分は何も知らなくて直しようがない。ショックでした」。

 管理の秘訣は、とにかく毎日田に出ること。稲の様子、そして天候に合わせて水の量を調整する。秋になれば刈り取りに向けて水を減らしていくが、タイミングが難しいという。

 「料理も難しいけど、覚えればなんとかできる。米は失敗したら全部アウトだから、悩むことや考えることは多いです。でもやっぱり、自分で作った米が一番美味しいと思っている」。


青年部のメンバーがバケツ苗づくりを指導した


門崎小学校の児童たちは田植えにも取り組んだ


秋には稲刈り体験。いい思い出作りになったようだ

 青年部活動にも取り組んでおり、休部していた川崎支部青年部の初代部長になったのが3年前。「川崎らしい活動のヒントを探ろう」と、北上川のEボート大会へ参加をするなど他支部との交流を積極的に図ってきた。昨年からは地元の薄衣小や門崎小の児童と米づくりに取り組むなど、体験学習の機会も提供している。協議会の会長も兼任し、「とにかく毎日忙しくて」と笑う。青年部メンバーは20代や30代が多く、「今野さんは頼りになる先輩なんですよ」と、JAいわい東青年部の仲間はいう。

 農業に取り組むようになって5年、「短かった。あっという間だった」と今野さんは振り返る。そして改めて思うのは、兄が残していったものだという。「自分が出会いに恵まれたのも、兄がいい人たちに巡り会っていたから。そういう面では感謝しています」。

 ベテランと若者、親世代と子どもたち、あるいは地域と地域を結ぶ存在として、今野さんは活動の幅を広げている。

(取材日/平成24年10月20日、取材・撮影/フリーライター 井上宏美)

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