広田半島営農組合 組合長の臼井剛さん

いわての底ぢから

第1回陸前高田市広田町 広田半島営農組合

地区内では最後の稲刈りとなる羽根穴地区の田んぼ


ずぶずぶと足が沈む。この湿田の解消が整備の狙いだった


品種はいわてっこ。収穫後は飼料米として利用される

 「今年は人の手を借りずに作付けを行った。今年が、我々組合の“元年”なんだ」。

 黄金の稲穂がたわわに揺れる背後に、赤茶けた枯れ木の林が傾いで連なっているのが見える。陸前高田市広田町、羽根穴地区。この集落もまた、2011年3月11日の東日本大震災が引き起こした津波で壊滅的な被害を受けている。しかしそれからわずか1年半後、2012年秋の羽根穴地区には美しい実りの風景が戻って来た。その稲穂を手にしながら、これから先への思いを新たに臼井剛さん。広田半島営農組合の組合長である。

 広田半島営農組合は震災後いちはやく、浸水した田んぼで米づくりを再開したことで知られている。農地は羽根穴・山田・大祝・岩倉の4地区に合計30ha。2009年から始まっていた区画整備も順次終了し本格的な作付けを予定していたが、大震災でそのほとんどが瓦礫と土砂に埋め尽くされた。それでもなお、岩倉地区の1haで米づくりに取り組んだのは「みんなを元気づけるためだった」と臼井組合長。復興事業の第一歩として、岩手県をはじめ関係機関から農業再開の打診を受けたときも率先して手を挙げた。

赤茶けた雑木。大津波が残していった爪痕だ


燕麦の種をまいた農地をトラクターで耕起している


農業機械の導入で農作業もはかどるようになった

 「今年は見合わせた方がいいという声もあったが、今やらなかったら組合も終わるし心も離れてしまう。一人でもやる覚悟で話し合いを続け、皆の理解も得ることが出来た」。

 ほ場整備に突貫で取り組んでくれた地元工事業者、さらには岩手県立農業大学校や地元農機具メーカーから手厚い支援も受け、2011年は4トン近くの米を収穫できた。完成した米は「ひろた復興米」と名付けて販売したところ、「内陸産の米と遜色なくおいしい」という声もあったという。これが、臼井組合長はじめ組合員の心にも響いた。「昔は、広田は湿田が多く米も美味しくないといわれていたが、自分自身はずっとそんなことはないと思っていた。これだったらいけるんじゃないか…そう思うことができた」。


栽培部長の志田忠一さん。米の販路拡大に取り組む


燕麦の小さな種。豊かな農地を作るための一歩だ


掘り下げた場所に現れた砂利層。農業者を悩ます

 そして2年目、2012年の米づくりは岩倉地区の2.8haと羽根穴地区の4.5haで実施。リース事業によりトラクターなど大型農業機械の手配もつき、組合内に栽培管理部も設置して苦労しながらも取り組んだ。しかし収量は例年と比べても8割程度にとどまり、「拡充した部分の農地に肥料不足の感があった」と白井組合長は分析する。広田町の農地は場所にもよるが1メートルも掘ると砂利まじりの地層が現れ、ほ場整備で表土をはぎとった農地はどうしても肥料不足になってしまうからだ。「田植え後も育ちがよくなかったからね」と、臼井組合長に落胆はない。

 臼井組合長と一緒に各地区を巡った。山田地区では今年新たに整備した農地に、燕麦を蒔いている最中。燕麦は地力増進作物として、冬から来春にかけて出てきた芽をトラクターで鋤きこんでいくという。2013年は、ここ山田の5haを含めて約16haの農地が耕作可能になる。3度の春を越え、震災前のおよそ半分の農地が“復興”する。だが、まだ半分だ。

 「組合員の中には『自分の米を作りたい』という声もあるが、自分はもしコンバインが手に入れば大豆をやってみたい。昔から広田では味噌加工が行われており、『広田の味噌じゃないと』という声も多いから。味噌加工にも取り組んで、組合の収益を上げていきたい」。

 復興元年に見えてきたもうひとつの夢。実現へ向け、広田営農組合の挑戦は続いていく。

(取材日/平成24年10月18日、取材・撮影/フリーライター 井上宏美)


来春からの農作業に向けて、整備が急ピッチで進む


揚水システムを備えた反復ため池は4地区に設置


湿田の多い広田の農地には排水システムも欠かせない


組合所有のコンバイン。田植機も手に入った

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