釜石市地域農業復興組合長として奮闘する鈴木賢一さん

いわての底ぢから

第11回釜石市 釜石市地域農業復興組合
組合長 鈴木賢一さん


区画整備により光景が一新した釜石市唐丹町下荒川地区


協力して、組合の田を順番に植えていく。品種は「いわてっこ」


ほ場整備に伴い、水路も一新。排水作業も楽になった

 海から上がってきた白い霧が、水が張られた田の上を途切れることなく流れていく。
 「今年はちょっと寒いな…」。白い息を吐きながら畦畔に立つ人々の視線の先、霧田の中を走りまわる田植機があった。5条植えとコンパクトだが側条式の最新タイプは、ぐいぐいと力強く水と泥をかいていく。運転するのは、釜石市地域農業復興組合組合長である鈴木賢一さんだ。
 「今までの植え方とは違うし、田の土固めもまだ万全じゃあない。それでも水路を敷設してもらったぶん冷害対策のための水加減はだいぶ楽になった。田の土の方は、来年、再来年かけて直していってもらえればいい」。慣れない機械、そしてほ場の状態が万全ではないとしても、これから先へと希望を託すことができるのは大きい。2014年春、ヤマセの霧が覆うなか釜石市唐丹町下荒川地区では、あの大震災から3年ぶりの田植えが行われた。
 唐丹(とうに)湾を望む巨大な防潮堤に守られるようにして、およそ10ヘクタールの農地が広がっていた釜石市唐丹町下荒川地区。住民の多くは漁業などと兼業で農業を営み、鈴木さんも米と和牛繁殖を手がけ、ウニの口開けの日は浜に出る暮らしをしていた。「唐丹の米づくりは昔からヤマセとの戦いで、防潮堤もヤマセから農地を守るためのものだった」と鈴木さん。いわば厳しい環境での農業を支えるシンボルともいえる防潮堤を、3.11の大津波はいとも簡単に乗り越えた。「牛、そして家族を裏山に避難させたあと津波がきた。高台から我が家が浮かんで流れていったのを確かに見ていたはずなのに、途中からの記憶がないんだ」。鈴木さんは自宅と農地、そして農業機械すべてを流された。


田は、表土の下からいくつもいくつも石が出てくる


トラクターやコンバイン、は種機など組合で管理・使用する


農業機械は市、JAいわて花巻など多くの支援で手に入れた

 営農存続か、断念かー。突きつけられた厳しい現実に、鈴木さんは地域の力を集めて立ち上がることを決意。沿岸振興局や市の後押しも受けて、釜石市地域復興農業組合の設立に奔走する。農地再生の選択肢は「現状復帰」と「ほ場整備」のふたつ。「メンバーの中には現状復帰でいいという声もあったが、ほ場整備であれば国から農業機械や肥料などの補助も受けられる。後々のことを考えれば、ほ場整備の方が絶対いいと説得したんです」。震災の翌年2月に復興組合は誕生し、5月からは整備予定地の草刈りを始めた。いざ作業が始まれば組合メンバーをはじめたくさんの人が協力してくれたが、日曜日のたび仮設住宅から通う暮らしは2年近く続く。国による区画整備が完了したのは、2013年11月だった。
 再生したほ場の広さは約7ヘクタール。集積したぶん田1枚の面積は広くなったが、水路の整備や作業道を広くしたため農地自体の面積は減っている。農業機械の支援も受け、作業効率という面では飛躍的によくはなったが、ほ場のコンディションの方はまだまだだ。「田んぼの真ん中は硬いんだけど、端の方が軟弱なので田植機がささってしまう。石ころもすごく多くて、たった15センチの起耕もできないほど。秋にまた土を起こせば石ころがゴロゴロ出てくるだろうね」。畦畔から見ていても、時折、田植機がグラリと傾いてひやりとする。大津波は農地と一緒に、人々がここで積み重ねてきた農業の経験知すらも一度は奪い去った。


昨年は除塩のためにアイスプラントの作付けなども行った


自宅前にて。遠くに見える防潮堤は2017年完成予定


一面の緑色に染まった、8月中旬のほ場全景

 昨年10月、鈴木さんら下荒川の生産者で結成された「下荒川営農組合」は、役目を終えた復興組合に代わって地域の農業再生を担う団体としてスタートした。「ほ場整備も終わったら、これからは田んぼを作っていく組合になる。運営するのは年下の人たち。今までとはやり方が違うけど、自分たちで考えながらやっていって欲しいね」。地区の周囲には、ついに営農再開を果たせなかった集落も多い。3年もの時間を経てなお米づくりを再開できたのは、鈴木さんらの地域そして農業への途切れない思いと情熱があったからこそだ。
 復活の田植えからおよそ3ヶ月。久しぶりに訪れた下荒川地区の田んぼは、一面の緑に染まっていた。さわさわと風に揺れる葉先には、すでに穂が出はじめている。大津波を乗り越え、ヤマセの寒さにも耐えた米が下荒川地区を黄金色に染めるまで、あともう少しだ。

(取材日/平成26年5月26日・6月6日・8月12日 取材・撮影/フリーライター 井上宏美)


すうっと伸びた稲穂。頭を垂れるまではもう少し


奥の山塊には、三陸を結んだ浜街道の道筋が今も残る


集落の奥深く、山際に津波到達点を記す石碑がある


再建した自宅の前で、奥様の愛子さんと

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