岩手県沿岸の中核都市・宮古市の北部に位置する田老地区。震災からの復興工事が進む町の中心部に、今年4月に一軒のそば店「はなや蕎麦たろう」が開店した。提供するのは、そば粉100パーセントの十割そば。それも北海道産以外に、地元田老で栽培されるようになったそばが食べられるのである。
「うちの店のそばは挽きぐるみですが、田老産そば粉の方が色が少し黒めでサラサラと手触りがいい。水は北海道産よりは多めに入れた方がいいんだけど、コシもあるし甘味のあるそばが出来上がるんですよ」。
厨房で忙しく働く、店主の小林智恵子さんが誇らしげにいう。そばは、小林さんが夫の徳光さんや地域の仲間と立ち上げた営農組合「八幡ファーム」で栽培しているのだ。しかしほんの2年前まで、小林さんはそば店の経営はおろかそばの栽培に取り組むことすら考えてはいなかった。
あの東日本大震災で、小林さん夫妻は三陸鉄道田老駅にほど近い自宅と防潮堤そばの八幡地区にあった農地を失った。一帯の畑も全て水の下になったが、それでも荒れ地にするよりはと平成26年に住民有志で営農組合「八幡ファーム」を結成、ほ場整備を行ったのである。しかし海の町・田老は専業農家がもともと少ない地域であり、全面営農を躊躇する声もあがった。
「だったらと軽い気持ちで『そばなら誰でもできるっけがねぇ』って話したら、みんな『いいんじゃねぇ』となって。でもね、昔はともかく現在もそばを作ってる人なんて、田老にはいなかったんですよ」。
前例はなかったが、農業改良普及センターの指導などもあり小林さんたちは2.2ヘクタールの畑でそば栽培をスタート。8月下旬の長雨に悩まされつつも管理につとめ、やがて白い花が咲く頃には国道45号を通る車からも「海のそばにあるそば畑」と注目されるようになったという。初年度は600キログラムのそばを収穫し一部は市内の製麺事業者に卸したが、翌年からは自分たちで製品化を決意。製粉法を試行錯誤し、製麺機メーカーとの出会いもあって、平成27年10月には地域のコミュニティカフェを借りて仮営業を始めたのである。
「実は店もそば作りも、『何かやんなきゃ』とあまり深く考えずに始めました。なかには『三陸道が出来れば車の流れも変わるのに(店を)やるの?』という人もいたけど、そんなことばかり考えてたら、誰も何も出来なくなる。私は、そうなったらそうなった時に考えればいいんじゃないかと思ってます」。
そんなそば作りも3年目となった今年、八幡ファームでは新しい試みに取り組んだ。宮古市産業振興部農林課主催の市民参加企画「宮古の農業まるごと体験ツアー」を受け入れ、参加者と一緒に種まきをおこなったのである。参加者の中には震災で田老を離れた人も参加、八幡ファームのメンバーがトラクタでならした大地に、そばの実をまんべんなく蒔いていった。「こうやってそばが作られていることを子どもたちに見せたかった。見せることに意義があると思っています」。子連れで参加した若い母親は、地元への思いをそう語る。みんなが、「田老のそば」「田老の店」に希望を見いだしている。
八幡ファームでは、2年目からは畑の中に水路を掘るなど環境の整備につとめ、その甲斐あって平成27年は1トンのそばを収穫。平成28年は作付け面積が増加し、「天気に恵まれれば1.5トンが目標」と小林さんは微笑む。しなやかに、そして気負うことなく仲間と取り組むそば作りが、田老の魅力となっていく姿が見えた。
(取材日/平成28年7月8日・9日、取材・撮影/フリーライター 井上宏美)