作文部門
岩手県教育長賞
氏 名 学校名・学年 作品名 該当JA
吉田 優斗 盛岡市立城西中学校1年 「思い出の味」 JAいわて中央

思い出の味

吉田 優斗
盛岡市立城西中学校1年

 僕は、母の作ったご飯が大好きだ。しかし、ここ二年間一度も食べていない。いや、もう二度と食べることができなくなってしまった。
 小学校の運動会の日、僕が一位をとれなくても、母は、「頑張ったね。」と言って、いつもカレーライスをつくってくれた。僕は、炊飯器のご飯がなくなるまでおかわりをして食べた。母のカレーが僕は大好きだった。僕の誕生日の一月二十二日は、「カレーライスの日」である。だから、母はいつもカレーを作ってくれた。
 カレーライスの他にも、母が作ってくれるご飯は、どれもおいしかった。親子丼やマーボー豆腐、しょうが焼きなど、ご飯がすすむものばかりで、僕はいつもおかわりをして食べた。日曜日の朝食は、いつもきまって焼きじゃけとほうれん草のおひたしとみそ汁だった。このメニューは父の好きなもので、日曜日の朝は家族五人そろって食べていた。この何気ない毎日の食事、特別な日に食べるカレーライス、母がいつも心を込めて作ってくれたご飯をいっぱい食べて、僕はここまで大きく成長してきた。
 母は重い病気にかかっていた。僕が小学校五年生の時、その病気が悪化して緊急入院することになった。僕は、すぐに退院してまたおいしいご飯を作ってもらえると信じていた。しかし、母はなかなか帰ってこなかった。最初入院した病院では、子供はカゼやインフルエンザをうつすおそれがあるということで、僕は病室に入れてもらえなかった。そのため、父から様子を聞くしかなかった。その後、母は別の病院に転院し、そこでは面会は許されていたので、僕はようやく母に会えた。僕はできるかぎり母のお世話をした。少しでも力になりたかったからだ。日曜日にしか行くことはできなかったが、毎週欠かさず会いに行って、一週間の出来事などを話してあげた。母はいつも喜んで僕の話を聞いてくれた。
 その後、間もなく病院の先生から余命一カ月であると宣告された。だから僕は、毎日母のところへ行くようになった。毎日会うたびに母の具合が悪くなっているように思えた。そして、八月十四日午前四時五十八分、母は僕たちの手の届かないところに行ってしまった。頭の中が真っ白になった。もう二度と母が作ったご飯を食べることができないのかと思うと、とても悲しくなった。入棺の日に冷たくなった母の手に触れた時、あのカレーライスのことを思い出し涙があふれた。叶うことなら、もう一度あのカレーをお腹いっぱい食べたいと思った。
 僕は今年中学生になった。バドミントン部に入ったが、今は始めたばかりで、まだまだ技術的にも体力的にも未熟だ。これからもっとたくさんご飯を食べて体をきたえ、天国の母にバドミントンで頑張っている姿を見てもらいたいと思っている。母の自慢の息子になれるように、これからも努力していきたいと思う。
 今はもう、あの頃のように母の作ったご飯を食べることはできない。しかし、家族五人で過ごした楽しい時間と母のおいしいご飯の思い出は、僕の大切な宝物として一生心の中に刻んでおきたいと思う。僕が大好きだったカレーの味、きっといつかまた思い出す日が来るのだろう。それは、一年後かもしれないし、五年後、十年後かもしれない。どんなに時間がたっても思い出の味は変わることがないだろう。

 
ウィンドウを閉じる